浄土真宗親鸞会 親鸞学徒福井教室

浄土真宗親鸞会の学徒のブログです。 人生の目的(なぜ生きる)などについて語っていきたいと 思います。

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太平洋戦争の初期、日本軍が破竹の勢いで連戦連勝していた頃、

日本軍の勢いに押され、ダグラス・マッカーサーがフィリピンの

コレヒドール島から脱出せざるをえなくなった時、

「I shall return」(私は必ず戻ってくるであろう)

と言ったというのは有名です。

時は遡り800年前。京都でお生まれになられた親鸞聖人は

法然上人から阿弥陀仏の本願を聞かれ、その後、お弟子と

なられました。すべての人が救われるたった1本の道である

一向専念無量寿仏

を余りにも強く叫ばれてた為、時の権力者の怒りに触れ、

越後流刑となり、止むに止まれずお師匠様の法然上人と

別れさせられ、生まれ故郷の京都を後にされました。

五濁の時機いたりては
道俗ともにあらそいて
念仏信ずるひとをみて
疑謗破滅さかりなり


その後、越後で5年間、関東で20年間、過ごされ、60才を

過ぎられてようやく生まれ故郷の京都にお帰りになられました。

お師匠様の法然上人と無理やり別れさせられた権力者がいる

京都になぜ親鸞聖人が帰られたのか、はわかりませんが、

余程の事情があったに違いありません。親鸞聖人だけでなく、

歴代の善知識方は大変なご苦労をされて、真実の仏法を

伝えてゆかれました。

如来大悲の恩徳は
身を粉にしても報ずべし
師主知識の恩徳も
骨を砕きても謝すべし


親鸞聖人がお生まれになれた日まであと1ヶ月少し。福井では

毎年恒例の蓮如上人の御影道中が始まります。

両善知識のご恩を偲び、少しでも報いることができるように

頑張りたいと思います。
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福井会館始動!

昨日、福井会館で、待望の遷仏会がありました!

遷仏会(せんぶつえ)とはお仏壇に正御本尊(ご名号)を

お迎えする行事です。

obutudan.jpg
これが福井会館のお仏壇です。実は福井会館は完全に完成した

わけではなく、2階、3階部分のみ完成しただけで、メインの1階部分は

まだまだこれからです。

ちなみにその1階はこんな感じです。
1kai
下足と荷物置き場だけ仮のものができています。

2階の講堂は早くもパンパン。昨日は150名ほどの人が参詣されました。

足の踏み場もないほどでした。。。

kuodou1.jpg
この写真だと余裕のように見えますが、後ろはすごいことになっています。

それと、富山から何と!もん太さんが来てくれました!
monta
カメラを構えている姿がカッコイイですね♪

お勤め、体験発表の後、高森顕徹先生のご説法をビデオで聴聞しました。

お昼は会食会がありました。
kaisyoku.jpg
これは3階です。1階から3階まで使える場所は全部使っての

会食会です。もちろんお弁当はあんしん弁当です♪

ここまでくるのに苦難の連続の福井会館。昨日、遷仏会を迎えることが

できて感無量です!1日も早い落慶を迎えたいという思いが強く

なりました。皆さんも福井に来られた際は是非とも福井会館を

拝観して頂きたいと思います!!!
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福井に会館が!

今年もよろしくお願い致します。

こちらのブログ、更新が滞ってすでに1年・・・。いくら何でも

サボり過ぎでしょう、と反省し、ぼちぼち更新できればいいなぁと

思っています。もともと顕真学院のブログは当ブログから

生まれたのに、本家を疎かにしている始末←最近は派生ブログも

更新頻度がガクッと落ちております(汗)

さて、親鸞会の機関誌「顕正新聞」の

新年号の表紙は福井会館でした!

ここまで来るのに紆余曲折、甚だしく、今までのいろいろな

人から「福井会館って、どこまで進んでるの?」と聞かれるたび

「なかなか大変で・・・」と答えていて、私自身、一体、

どうなることやら、と思っていました。それがあれよあれよと

話がまとまり、このたび、顕正新聞に紹介されるところまで

話が進んでしまったのにはビックリです!

早速、待ちきれず、掃除をしようということで年末から

できる人で掃除をしているのですが、年末にも関わらず、

連日、参加者100名を超える事態に、どれほど皆さん、

待っておられたのか、喜ばれているのか、わかります。

私も今まで3回、参加しましたよ♪100名も掃除に参加

したら、朝と昼とで中の様子がガラッと変わり、またビックリ。

初めて入った時は、泥棒が入ったと思うぐらい足の踏み場も

ないほど書類、文具類、飲みかけのコーヒー、お茶、

たばこが散乱していて、すごい状態でした。それが今では

すっかりキレイになりました!現在、リフォームが始まって

います。

他の会館と違う、注目すべき点は4階建て(4階はちょっとした倉庫)

というところも大きなアピールポイントですが、畳屋さんも

リフォーム屋さんも水道屋さんもすべて親鸞学徒という

ところでしょう!すべて親鸞学徒の手で行われるんですよ!

何とリフォーム屋さんは昨年末に親鸞学徒になられた

ばかりなんです!!完成が楽しみです!
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人生の目的と生き甲斐の違い

いつも話をして下さっていたY先生がブラジルへ布教に行かれ、涙涙のお別れをしました。会うは別れの始めと言われますが、いつか別れなければならないとは思っても、実際、その時が来ると辛いですね。。。今までお世話になりました!有難うございました!!!
今度は代わってM先生が福井に来られました。今日、そのM先生の講演会が三国でありましたので、参詣しました。
 人生の目的と生き甲斐との違いについて教えてもらいました。
 人生の目的と生き甲斐とは違うものだとハッキリ知る人は稀だと思います。
 生き甲斐は人それぞれ、異なるもの、異なって当たり前のものを言います。人の為、社会の為に仕事をする、お金を稼ぐ、財を築く、ノーベル賞を取るなどを言います。生きている70年、80年の間の事、とも教えてもらいました。対して人生の目的は万人共通唯一のものを言います。何億人、何十億人、いろいろな国籍の人がいても、共通した、たった一つのもの。これが人生の目的です。人生の目的をお釈迦様は「人身受け難し今已に受く」(生まれ難い人間に生まれて良かった!!!)と言われ、親鸞聖人は「噫、弘誓の強縁は多生にも値いがたく、真実の浄信は億劫にも獲がたし」と言われています。「多生」「億劫」とも何十億何兆年よりも長い時間を言い、人生の目的を多生の目的とも言うと教えてもらいました。仏教を聞かなければ、こんな事はもう知ることができません。そんな人生の目的が生きている今、完成できる、と教えられるのが親鸞聖人であり、その親鸞聖人の教えを平生業成と言われます。想像を超えた深さも知れない教えで、世界の三大宗教と言っても、仏教がトップにあげられるのもわかります。
 
勉強会 | コメント:0 | トラックバック:0 |

正しく聞くことは難しい

今日は何の日でしょう?日曜日?テレビ座談会の日?それはそうなのですが、親鸞聖人のご命日ですよね!
しかも今年は親鸞聖人750回忌ということで、本屋に行けば、親鸞聖人のコーナーが出来ていたり、親鸞聖人関連の本がたくさん出ています。福井新聞では”親鸞なう”なる記事が一面にあり、真宗王国福井ならではだと思います。750年の時を超えて、なおたくさんの人に関心を持たれている親鸞聖人。しかし、どんな事を教えていかれたのか、知る人は稀です。今日、ある人が「寺で報恩講があり、そこで親鸞聖人の話があった」と言われるので、詳しく聞いてみると、親鸞聖人のご一代だけで、正信偈の意味や歎異鈔の解説など教えに関する話は無かったそうです。勉強会に来られる人で「正信偈の意味を知りたい」と言われる人は多いです。浄土真宗と言えば、日本で一番大きな仏教教団でありますが、親鸞聖人がどんなことを教えていかれたのか、知る人、説く人が余りに少ないのはなぜでしょうか?それは正しく理解する人がいないからではないでしょうか?
今日、テレビ座談会では歎異鈔について教えてもらました。歎異鈔には聞き誤りやすいところがたくさんあり、その一つに2章冒頭の親鸞聖人が命がけで訪ねてきた関東の同行に対して、何の労いの言葉もかけられず、いきなり「この親鸞のもとに訪ねてきた目的は『往生極楽の道』ひとつを聞く為だろう」という場面について詳しく教えてもらいました。これを読んだ人の中には「親鸞聖人は何て冷たい人だろう」と思う人があるそうです。他にもまだまだ聞き誤りやすいところはたくさんあるので、歎異鈔は「カミソリ聖教」と言われ、蓮如上人は「誰にでも見せてはならない」と言われています。

善知識にあうことも
おしうることもまたかたし
よくきくこともかたければ
信ずることもなおかたし
(親鸞聖人)

親鸞聖人が「よくきくこともかたければ」、正しく聞くことは難しいと言われている通りです。
長い間、親鸞聖人の教えを聞いて来られた人で「今日、阿弥陀仏とお釈迦様の違いがハッキリとわかった」と毎回のように阿弥陀仏とお釈迦様の違いを聞いてこられたはずの人がこんな事を言われることもあるそうです。つい先ほど聞かせてもらったことで、ハッキリわかったはずなのに、家に帰ると何の話を聞いてきたのか、思い出せないということありませんか?聞いたようで聞いておらず、わかったようで人に話をしてみるとこれがなかなか難しいということはありませんか?なかなか正しく聞くというのは、一筋縄ではいなかい難しいことだということがわかります。だから、何度も同じ事を聞け、と言われるのでしょう。
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