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浄土真宗親鸞会 親鸞学徒福井教室

浄土真宗親鸞会の学徒のブログです。 人生の目的(なぜ生きる)などについて語っていきたいと 思います。

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魔界・外道も障碍することなし

24万坪もあったと言われる山科本願寺よりも更に大きな石山本願寺。
歴史にも残る石山戦争が起こった地でもあります。その石山戦争を見て、
頼山陽がこう讃嘆しています。

 濃蹶・峡顛いずれか抗衝せん
 梵王ひとり降旌を樹てず
 豈図らんや右府千軍の力
 抜き難し南無六字の城

斎藤道三も武田勝頼も織田信長に抵抗できなかった。
名だたる戦国大名が信長の前に散っていた中、顕如上人ひとり、ついに白旗を上げなかった。
織田信長の軍隊の力はとても考えることができない。
信長と11年闘って、ついに退けた親鸞学徒の法城はなんと固いのか。



名だたる戦国大名を次々と破り、破竹の勢いで天下統一を進めていった織田信長。武田の騎馬軍団を破ったあの鉄砲隊は非常に有名です。誰一人として信長の勢いを止めることができなかった中、石山本願寺だけは信長の蹂躙を許しませんでした。門徒の人達は槍や剣、弓に慣れている訳でもなく、まして、日頃から武芸を嗜んでいる訳ではありませんでしたが、「進めば極楽 退けば地獄」の後旗を立てて、信長軍と11年も闘い、一度も信長の蹂躙を許しませんでした。頼山陽は、千軍の力をも凌駕する親鸞学徒の護法精神に、ただ「抜き難し南無六字の城」と言わずにおれなかったのでしょう。この力はどこからくるのか。不朽の名著歎異鈔から見てみましょう。
「信心の行者には天神・地祇も敬伏し、魔界・外道も障碍することなし」(第7章)
”他力の信心を獲た人の阿弥陀仏の本願を開顕する信念に天地の神も敬って頭を下げ、どんなものもその信念を曲げることはできない。”
親鸞聖人の波乱万丈のご生涯を見れば明らかでしょう。親鸞聖人は、世間中から、権力者から、聖道仏教の者達から、はたまた同じ法然門下の友達から非難攻撃を受けられ、四方八方総攻撃のただ中におられました。しかし、ただ、だまっている親鸞聖人ではありません。降りかかる火の粉に対してこのように反撃されています。ここに”魔界・外道も障碍することなし”のご布教に信念にただ戦慄するばかりです。
権力者には
”主上・臣下、法に背き、義に違し、忿を成し、怨を結ぶ”
”天皇から家臣に至るまで、仏法に反逆し、正義を蹂躙し、怒りにまかせて見当違いの大罪を犯す。ああ、何たることか!”
と批判し、
聖道仏教の者たちには
諸寺の釈門、教に昏くして、真仮の門戸を知らず
”聖道仏教の寺も僧もたくさんいるが、仏教のイロハもわからぬ者ばかり”
と切り込み、
三大諍論により、背師自立と非難してきた法然門下の友達には
定散の自心に迷うて、金剛の真信に昏し
”念仏を称えていても、無明の闇が晴れていないから、あざやかな真実の信心がわからないのだ”
と反撃し、
”浄土の真宗、いま盛なり”とはなはだ意気軒昂です。
更にもっとも親鸞聖人の護法精神をむき出しにされたことは長男の善鸞を勘当されたことでしょう。
我が子が仏法をねじ曲げていることを知られた聖人は、何とか改めるよう手紙を何度も出されましたが、善鸞は一向にあらためる気配がありませんでした。そして、我が子の為に幾億兆の人を地獄に堕とすことはできぬ、とついに勘当という断腸の決断をされました。
 これもただ、何とか全人類に阿弥陀仏の本願を徹底せんとされる親鸞聖人の熱い報恩のお気持ちからでした。
 その親鸞聖人の御教えに生かされた石山本願寺に集った親鸞学徒もまた、どんなものも妨げることのできない不動の信念を持っていたのでしょう。
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