浄土真宗親鸞会 親鸞学徒福井教室

浄土真宗親鸞会の学徒のブログです。 人生の目的(なぜ生きる)などについて語っていきたいと 思います。

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今日は電話座談会でした!

今日は電話座談会がありました!

歎異鈔1章について、「歎異鈔をひらく」を通していろいろな質問に答えて頂きました。

その中で浄土真宗が衰退の一途を辿る原因と言われる「弥陀の本願を信ぜんには他の善も要にあらず、念仏にまさるべき善なきが故に悪をもおそるべからず、弥陀の本願をさまたぐるほどの悪なきが故に」について教えて頂き、心に強く残りました。
 ちょっと聞くと、念仏さえ称えていれば、良いことしなくてよい、どんな悪いことをしても阿弥陀様は助けて下さる、と受け取ってしまいます。親鸞聖人の教えを知れば、とんでもない誤解だとわかりますし、因果の道理から言っても、そんなことあるはずありません。良いことをしなければ良い結果は返ってきませんし、悪いことをすれば、その報いを受けなければなりません。親鸞聖人もそれを戒めておられます。何か所かありますが、今は1つだけ。

われ往生すべければとて、すまじきことをもし、思うことまじきことをもおもい、言うまじきことをも言いなどすることは、あるべくも候わず。
【末灯鈔】

「これで自分は、極楽へ往けるようになったのだから」と広言し、勝手気ままに、してなならないことをしたり、思うてはならぬことを思ったり、言ってはならぬことを言ったりするなど、決してあってはならないことだ。



 歎異鈔で言われる善とか悪はあくまで往生のこと。弥陀の本願を信じ、救われた者は、弥陀より賜った念仏で往生決定の大満足を獲ているから、「往生のために善をしようという心」は微塵もない、ということです。同時にいずれの行も及び難き身なれば、とても地獄は一定すみかぞかし、と知らされた親鸞聖人に恐れる悪はないでしょう。すべては往生についての善悪。阿弥陀仏に救われても、働かなければお金は得られませんし、窃盗をすれば、捕まって苦しみます。勉強しなければ、行きたい大学に行けません。
 ここを聞き誤ると、大変なことになってしまいます。


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