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浄土真宗親鸞会 親鸞学徒福井教室

浄土真宗親鸞会の学徒のブログです。 人生の目的(なぜ生きる)などについて語っていきたいと 思います。

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今日はテレビ座談会♪

今日は福井市と坂井市の各所でテレビ座談会が行われました。
「なぜ生きる」を通して、1日、質問に答えて下さいました。
「なぜ生きる」に、このような一節があります。

「平凡な生活のまどろみが破られ、
愕然とさせられたとき、
この問いに(何の為に生きるのか)
真剣な回答が迫られます」


平凡な生活のまどろみが破られる時とは一番はいよいよ死んでいく時です。それまではまだまだ死なんという思いがないでしょうか。肉親、兄弟、親戚、友達など身近な人の死に触れたら、否応なしに何の為に生きるのか、考えさせられますが、それは一過性ですぐにケロッとして、また、平凡な生活のまどろみに沈んでいきます。そして、いよいよ死ななければならないとなった時に慌てふためいても手遅れです。そうなる前に何とかして、仏法を真剣に聞くには無常観と罪悪観が大事だと教えてもらいました。仏法を聴聞していくと、深まっていく無常観と罪悪観。無常観とはすべてのものは常が無く続かないということですが、一番の無常は自分の死です。いつか死んでいかなくてはならない。これは絶対、確実なことです。親鸞聖人が9歳で出家されたのも、この無常観からでした。4歳でお父様を亡くされ、8歳でお母様を亡くされ、今度死ぬのは俺の番だ。死んだらどうなるのだろう、と無常を見つめられて、出家なさいました。
 無常を観ずるは菩提心の一なり
と言った人もいます。無常を見つめるのは本当の幸せになる第一歩、ということです。死を見つめるのはいたずらに暗く沈むことではありません。人生の一瞬一瞬を太陽よりも明るくする第一歩なのです。
 罪悪観は自己の罪悪を見つめること。悪いことをしたら、悪い結果が返ってくる。因果の道理で教えてもらいますが、因果の道理を知らされ、己の罪悪を知らされれば知らされるほど、助かる道はなかろうか、と真剣に探し求めます。
 無常と罪悪、この二つが深く見つめるほど、聞法に拍車がかかり、真剣に聞かずにおれなくなります。そして、人生究極の目的を果たすところまで進むことができるのです。
 1日1日があっと言う間に過ぎていきます。私は何の為に生きているのかを忘れず、1座でも多く聞き求めたいと思います。
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